投稿日:2024年3月10日 / 更新日:2024年3月10日
この度は学会賞を頂きましてありがとうございます。今回、授与して頂いた遠藤雅伸学会長(2020年度学会賞)は、もちろん僕が初めて買ったゲーム(『ゼビウス』)の作者でもあり、長年(2008年から)一緒にこの小さくも希少な学会を大きくして来たリーダーでもあります。感動ひとしおです。ありがとうございます。また会員の皆さま、理事の皆様、御礼申し上げます。また歴代の学会長であります馬場章先生(2010年度学会賞)、細井浩一先生(2015年度学会賞)、岩谷徹先生(2017年度学会賞)、中村彰憲先生(2020年度学会賞)のご指導のもとで活動してまいりました。特にお世話になって来ました。御礼申し上げます。これからもゲーム研究に精進いたします。皆様、これからのご指導、よろしくお願いいたします。

以前、2011年度若手奨励賞を頂いたのが2012年のことですので、12年ぶりに賞を頂きました。そこで、私から見た(つまり公式ではなく)本学会の歴史を簡単に述べさせて頂ければと思います。最近、入会された方は本学会の成り立ちなど、押し付けるつもりはありませんが、興味ある方も多いかと思いますので、あくまで私から見た本学会小史を語ることで謝辞に代えさせて頂きます。
2006年5月19日、これは本学会の記念すべき創設シンポジウムが東京大学本郷キャンパスで開かれた日でありました。私もIGDA日本のサイトかゲームサイトのニュースでアナウンスを見て出席しました。馬場章初代学会長・創設者、中村彰憲先生、新清士さん、伊藤憲二先生が登壇され、錚々たるメンバーの開会式でありました。「デジタルゲーム研究」が正々堂々として始まる打ち上げイベントでありました。とても熱気があったと記憶してます。帰宅後、すぐに入会申し込みをしました。会員番号は「66」。私は2004年にゲーム産業に入っていましたので、アカデミックな活動を求めていた時期かもしれません。以下では、広報委員長らしく、それぞれの時期のリンクを貼って行きたいと思います。
日本デジタルゲーム学会(DiGRA JAPAN)設立総会のお知らせ(投稿日:2006年5月19日)
さて2007年の夏には、CEDECと同時に、DiGRA本体の国際大会が東京大学で行われました。馬場先生の開会のご挨拶や、上村雅之先生(2011年度学会賞)、岩谷徹先生の基調講演などを覚えています。
私はそうして会員の一人として、2006年から2007年、本学会の活動を楽しませて頂いておりました。それから2008年の春の頃だったかと思います。玉井建也先生(2013年度若手奨励賞)にお声がけいただき、東大まで行きお話しを伺って、研究委員会の委員になることになりました。遠藤さんが委員長で、藤原正仁先生(2014年度若手奨励賞、2021年度学会賞、2017年夏季研究発表大会大会委員長)、小林(七邊)信重先生(2010年度若手奨励賞)、一小路武安先生(2016年度若手奨励賞、2014年夏季研究発表大会プログラム委員長、2014年度年次大会プログラム委員長、2017年夏季研究発表大会プログラム委員長)、学生委員で富安晋介学生理事がおられたと思います。この時期は、国際会議も一段落して、学会として次のアクションを求められていた時期でした。
研究委員会の最初の会議のことは今でも忘れられません。遠藤さんから「この学会の存在価値と存続理由を明確に述べて」とお題を頂き、三宅は「ゲーム論文の発表の場は私が必要としています。他にもゲーム研究をしたい方の発表の場が必要です。発表の場があることで、研究を進めたいと思う人が増えていきます」と反駁。遠藤さん「だったら君が遠藤に存続に舵を切らせる活動をしろよ。それが評価できれば、財政面や宣伝面の企画を進めるよ」というお言葉を頂き、めでたく活動が始まったのでした。詳細は以下に述べますが、これが私の学会活動の出発点であり、実際、私もそのように働き、遠藤さんも約束通り活動され、それどころか約束以上の活躍をされたのでした。この時期、私だけでなく、研究委員会まわりの委員には、遠藤さんは委員会活動の精神的、かつ実行的な柱でした。
そこで研究委員会では、とりあえず知名度と会員を集めよう、そうやって学会を盛り上げよう、と気運を上げました。学会では、もともと公開講座や月例研究会というのをしていたのですが(2006.7- 2007頃)、いったん途切れていたので、改めて公開講座という名前を冠して、ほぼ毎月開催することにしました。主に東大の山上会館を中心に平日の夜に毎回講師を呼んで公開講座セミナーを行い、その後は必ず懇親会を行うことで、徐々に学会のコミュニティというものを充実していったかと思います。最初の頃は、軽食を用意してその場で更新会をしていましたが、なかなか準備がたいへんなので、本郷周辺の飲み屋さんで行うようになりました。公開講座は2008年から2010年まで続きました。井上明人先生(第14回大会プログラム委員長、2010年度若手奨励賞)とご一緒に以下のイベントを行ったのもこの時期でした。
同人ゲームの潮流① 「同人ゲームの過去、現在、未来」(DigraJ公開講座08年09月期)(投稿日:2008年9月26日)
この時期は秋葉原で同人・インディーゲーム開発者のインタビューを小林先生、小山友介先生(2012年度若手奨励賞)たちと重ねていて、とても面白かった時期でした。
2010年になっても公開講座を続けていましたが、そういえば、学会とはそもそも何だっけ?という、問いが研究委員会の中で出てきます。え?いまさら、と、今思えばそうなのですが、当時は公開講座をするのに必至で、原点を想う暇がなかったのと、会員が増えていくと、そういえばなぜこんなことしてるのだったかな、と考え始めたのです。そこで学会とは学会、つまり研究大会をするものだ、という至極真っ当な結論になり、公開講座は終了して、大会を開催しよう、ということになります。つまり、本学会は本当にゆっくりと成熟していった学会なのでした。しかし、その分、馬場先生のもとで日本のデジタルゲーム研究がどのような方向に向かうべきかを模索した時期でもあり、馬場先生のお力のもとで実にさまざまな施策を試すことができました。そのおかげで産業からの注目も徐々に上がってきました。
「若手研究者発表会」(DigraJ公開講座10年1月期)
2010年6月、会長の激務と重責が、本学会の創設者である馬場先生から、細井浩一先生に移り、学会の重心が京都に移る、ということになりました。これまでの体制が変わることは少し心細い気がしましたが、たくさんの新しい方も入ってこられて、学会もいよいよ全国的な広がりを持ち始める気がして期待が上回りました。藤本徹先生(2021年度学会賞)、松隈浩之先生(理事、ブランド推進委員会委員長を歴任)、原寛徳先生(事務局長を歴任)、福田一史先生(研究委員会委員長、第14回大会実行委員、2014年度若手奨励賞)、尾鼻崇先生(第14回大会実行委員、2015年度若手奨励賞)と知り合ったのもこの頃かと思います。細井先生は学会の規約やシステムの整備をなされました。会長や理事の任期、選挙システムなどもここで整備が始まったかと思います。
2010年の12月18~19日に、小山先生のご尽力で、田町にある芝浦工業大学のサテライトキャンパスをおかりして、記念すべき第一回大会が開催されたのでした。正直、内容とかレベルはさておき、開催できたことが驚きでもあり、新しい始まりでもありました。大会を開催するには、本当にたくさんの人の貢献が必要で、わからないことも多く、自分はコンセプトを出したり、宣伝したりしましたが、正直あまり運営には貢献できず、大学関係者の皆様の学会というものを知り尽くしたノウハウと手際の良さに感心しました。この大会ができたこと、転職して本業が忙しくなったこと、新しい人もたくさん学会の真ん中に入ってきたこと、などもあり、また2008年から馬場先生の下で遠藤さんと活動してきた活動もいったん区切りが付いた気がしました。また確かな実感として、学会がたくさんの人の力のもとで回り始めたことにも感動しました。
DiGRA JAPAN 2010
2011年は震災のあった年でもあり、改めてデジタルゲームの社会的意義が問われた時期でした。そんな中、井上先生と田端秀輝さん(本学会理事・広報委員)の作られた「denkimeter」は社会的にも注目を集め、CEDEC AWARD ゲームデザイン部門優秀賞(2012年)を受賞し、国立新美術館「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム」(2015年)でも展示されました。これはゲームという閉じた場所で作られたメディアであっても、その中で熟考し製作すれば、世の中に広く役立つことを示した事例でした。
2012年大会は立命館大学の衣笠キャンパスで行われました。この大会で学会の2011年度若手奨励賞を頂きました。遠藤さんから「アカデミックの新人て何才までなの?」と突っ込まれた想い出があります。また、この大会は、国際学会 GAMEON-ASIA 2012 と共催で、このジョイントセッションで基調講演をさせて頂きました。
DiGRA JAPAN 2011
この頃に、研究委員会、編集委員会、広報委員会という委員会制が出来上がってきた気がします。ほぼ全ての研究会に名を連ねて参加していました。編集委員会は、山口浩先生が最初委員長を担当され世田谷の駒澤大学にお邪魔して参加してしました。そのあと、三上浩司先生が委員長を引き継ぎされ、そこからはあまり会議に参加できておらず、時々査読の協力をしています。
2012年夏には、夏期研究発表大会が開始されました。大会が修士論文の成果などのタイミングであるのに対して、夏季はその途中の成果、また卒論の成果を発表する機会であったと思います。三上先生がそのような場の必要を解かれて後押しがあったと覚えています。
2012年夏季研究発表大会
2014年4月からは理事となりました。2013年に理事選挙が行われましたので、その時にお声がけもあり立候補したかと思います。理事会は細井先生、中村先生が京都から来られて、東京駅周辺の会議室で開いていました。源田悦夫先生(2014年度学会賞)も遠路、九州から来られていました。議題は学会と体制と法人化のキーワードが出ていた気もします。細井先生のもとで、学会は誰もが参加しやすい開かれた学会へと変化していったと実感しております。大会で学生大会奨励賞が設置されたのも、この頃かと思います。
夏季研究発表大会、盛会のうちに無事終了しました!(投稿日:2014年8月28日)
また各種委員会やSIGが整備され、ゲーム教育専門部会の活動が始まったのも、この時期ではなかったかと思います。岸本好弘先生、古市昌一(2022年度学会賞)が牽引されて来ました。しかし、私の推進したかったゲームデザインSIGは力不足で休止状態になっています。
2016年4月からは岩谷徹先生が学会長に就任されました。主に法人化、国際化や全国の会員のネットワークがテーマになっていたかと思います。自分は広報委員会の委員長となり、学会の知名度の向上につとめました。広報委員会では twitter、そして、facebook、Instagram、YouTubeチャンネルと、有学会のアカウントを開設しました。委員の皆様がコンテンツを充実し続けてくれています。
twitter(X) https://twitter.com/DiGRA_JAPAN
Facebook https://www.facebook.com/digrajapan
YouTube https://www.youtube.com/user/digrajapan
この時期は学会としてある程度、成熟しはじめて、開かれた学会になりつつも、新しい人がどれぐらい入ってくれるか、若手がどれだけ学会に来てくれるか、を活動しながら待つ時期でもあったかと思います。自分が広報に最も身が入っていた時期も、この頃であったかと思います。広報委員には田端さんや、のちに粟飯原萌先生(2018年若手奨励賞、第11回大会プログラム委員長、第13回大会実行委員長)も入って頂き活動が充実していきました。
2016年夏季研究発表大会 基調講演をはじめ動画公開
2017年夏季研究発表大会における企画セッション「生態計測とデジタルゲーム」では、小川充洋先生にご講演をお願いいたしました。
小川充洋先生「生体計測とデジタルゲーム」 (夏季研究発表大会2017)講演資料公開(投稿日:2017年10月10日)
2018年4月1日からは中村彰憲先生が学会長に就任されました。中村会長のもとで、法人化が強力に推進されました。また国際化なども重視するようになり、国際化のための委員会も設置され、サイト上でも英語のニュースを配信するようになりました。
中村先生、藤原先生を中心に法人化のためのタスクフォースも設定されたと記憶しています。理事会というよりも、その法人化タスクフォースの活動量は膨大なものだったと思います。自分はその経緯と報告を理解するのが必至でした。理事会では様々な課題が議論され、徐々に長い時間をかけて法人化への準備がなされて、2021年度年次総会で決議を得て、2022年2月12日に任意団体から一般社団法人に移行しました。
日本デジタルゲーム学会 一般社団法人化のご挨拶(投稿日:2022年7月12日)
実に創立2006年か16年の歳月を重ねて、四代の学会長の積み上げの上に、学会は社会的な形を取ることになったのでした。これは実に大きな仕事であり、私などはその偉業の上に乗っているに過ぎません。特に中村会長が、学会の永続的な活動の基盤の整備に尽力された情熱はとても大きなものでした。激務の中、広報委員会にも必ずご出席され、国際化の推進もなされました。またこの時期はコロナ化とも重なり、理事会も遠隔で行われるようになり、学会の運営も苦労を重ねることになりました。学会の一大変革期でありました。同時に新しい若手の力が台頭してきた時期でもありました。若手奨励賞のリストを見ると一目瞭然です。
学会賞リスト(投稿日:2013年3月22日)
2019年の夏季研究発表大会は、なんと、DiGRA の大会(国際会議)本体との共同イベントでした。これはつまり2007年以来、ということになります。国際会議の発表は人文的な研究が多く、日本の科学的な研究によった研究との差異を感じました。大会発表をサイエンスの側に寄らせたのは、デジタルゲーム研究を誰から見ても隙のないものにしよう、という、初期にプログラム委員長を歴任していた、自分の責任の大きなところだと思います。しかし、いざDiGRA の大会の発表を聴いてみると、かなりフリーダムでした。欧州らしい文化的発表の方が多かったのではないかと思います。これは、DiGRA JAPAN がそぎ落としてしまった文化であり、これをいつか復活させて、科学と人文を等しく扱うことができるようになれば、本学会のさらなる発展が待っているかと思います。
DiGRA 2019 Workshop 日本語トラック(DIGRA JAPAN2019年夏季大会)
2022年4月、遠藤雅伸先生が学会長になられました。法人化後の最初の学会長として、より公的な学会としての運動が展開されました。また岩谷先生に続き、ゲーム産業出身の学会長になるのは、本学会の特性を良く表現していると思います。世界でも随一のゲーム大国におけるゲーム研究は、産と学の連携が大きなメリットを生むはずです。コロナ化ということもあり、アクセルの踏み方が難しいところ、法人としての新体制と、新規理事を多く含む理事会、代議員制など、の新しい動きが展開された時期でした。また国として専門職大学の制度が開始され、新しいゲームコースが各大学で開設された時期でもあり、コロナ明けの時期に多くの変化の波が押し寄せた時期でありました。また学会の運動は、法人化を経てさらに加速していると感じました。

小さな学会を育てるのはとても面白いことです。場を作り、そこに新しい活動が生まれ、成果が積み重ねられていく。正直、大会のレベルは最初はそれほどでもなかったですが、回を追うごとに、各段に良くなっていきました。2010年の大会から見れば、現在の大会はまったくメタモルフォーゼしたと言っていいでしょう。それは、この学会が常に新しいことを追い求め、多様性を拒否して来なかったところの成果と思います。同時に、そぎ落とした、もっと人文的な議論もこれから取り込んでいく必要はあるかと思います。
自分が学会を育てたなどとは露ほども思いませんが、歴代の学会長の手腕の見事さにただ感心するばかりでした。この学会は統一性とかとがった専門性とは違う混沌とした多様性を内包して進んでいます。まだまだ発展の余地があり、これからも学会に貢献できれば幸いです。この度は身に余る賞をありがとうございます。
2024年3月 三宅 陽一郎
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