投稿日:2021年7月31日 / 更新日:2021年8月20日


日本デジタルゲーム学会 DiGRA JAPAN 特別対談

松隈浩之(日本デジタルゲーム学会理事、九州大学大学院芸術工学研究院)
牧奈歩美(東京藝術大学大学院映像研究科ゲームコース)

聞き手・構成:小野憲史(東京国際工科専門職大学)

--簡単に自己紹介をお願いします。

松隈浩之(以下、松隈):九州大学芸術工学研究院でシリアスゲームの研究をしている松隈浩之です。もともと本学の大橋キャンパス…旧芸工大(九州芸術工科大学)の出身で、卒業後に凸版印刷で6年間仕事をしたあと、教員として戻ってきました。そこでタイミング良くシリアスゲームの流れに乗りまして、高齢者向けのリハビリ向けゲーム(図1)からはじまり、最近では特別支援学級の生徒たちの教育支援ゲーム(図2)

などに研究が広がっています。これは今日、話したいテーマの一つでもあるんですが、ゲームにアートとデザインという二つの側面があるとしたら、自分はデザイン寄りの人間なんですね。自己表現というよりは、社会の課題解決に軸足があるゲームを作るという。

図1:起立訓練支援ゲーム『リハビリウム起立くん』

床, 屋内, 人, 再生 が含まれている画像

自動的に生成された説明

図2:時計の学習用ゲーム『 Shall We ナンジ』

牧奈歩美(以下、牧):東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻・ゲームコース講師の牧奈歩美です。私はもともと実写映像や写真から始めて、次第にアニメーションやコンピュータグラフィクス、先端メディアに関心が移っていきました。近年ではフルドーム映像やVR制作などの分野を研究しています。転機となったのが、前任校の神奈川工科大学でゲームについて学びたい、作りたいという学生の指導をしたことですね。映像表現としての見せ方や、情報の伝達方法の仕方などを教える過程で、幅広い意味での「ゲーム」に触れることができました。デジタル絵本なども、捉え方によってはゲームの範疇に入ると思います。そこから2018年に本学に移ってきて、現在に至るという感じです。アートかデザインかという意味でいえば、アートよりですね。

松隈:アートかデザインかという話は根深くて。日本には藝大をはじめとして、美術系大学が数多くありますが、九州には沖縄にしかありません。そのうえで設立当時を振り返ると、1968年に芸工大が福岡にできた時、これからの社会にはデザイン教育が必要であろうということで、芸術大学ではなくデザイン大学を作ることになりました。ただ、デザインというカタカナ語を国立大学の名前につけることが、当時は難しくて。実際、今でも無いと思います。それで議論の結果「芸術工学」という名前になりました。ここに芸術=ARTという言葉が入ってくることで、様々な場面でアートかデザインかの議論が50年続くことになります。

ーー自分も藝大のゲームコースで2020年の夏に、「ゲーム概論」という科目で集中講義をさせていただきました。その時にゲームにおけるアートとデザインの関係性について関心があり、そうした内容も少しだけ学生の皆さんに話させていただきました。ゲーム業界は営利企業の集まりなので、企業には顧客ありきの考え方が染みついています。いわば、デザイン思考です。シリアスゲームも同じで、解決すべき社会課題がある。いわゆるアート的な自己表現とは、ちょっと違うようにも感じるんですね。これに対して藝大のゲームコースでは、映像表現やアニメーションをベースとした、それまでの文脈とは異なった、独自のゲームデザインを掲げられていて、興味深く感じました。

牧:アートかデザインかという区分でいえば、実は本学ゲームコースではそれほど意識していないんです。本コースは大学院映像研究科修士課程のアニメーション専攻と、メディア映像専攻の入学者の中から、希望者が履修する形を取っています。学生は他大学からの進学も多いです。留学生の割合も高く、多種多様な学生がいます。バックグラウンドも、デザイン科出身もいれば油画科出身もいます。中には社会人、それもゲーム業界を経てゲームコースに進学される学生もいるほどです。その中でも共通するのは、描きたい世界がある、自分独自の表現を突き詰めたいというマインドがあることです。先ほど顧客視点という話もありましたが、アートかデザインかという意味でいえば、「自分視点での表現を中心に置いているか否か」の違いなのかな、という気がしています。

松隈:先ほども言ったように、本学には設立の背景から「アートかデザインか」という議論がありましたから、自分の中でもいろいろな考えがあり、これだけで1時間くらい話せてしまうほどです。その中でも個人的な考えでいうと、何か今までにない発想で作られた、まったく新しいゲームは、それだけでアートと言えるのではないかということです。『スペースインベーダー』にしろ、『テトリス』にしろ、それまでまったくなかったものでしたよね。そういったものは、個人の「これが作りたい」という強烈な意識から生まれてくるのではないかと。自己表現という話にも通じますが、それはアートといえるのではないかという考え方です。

--ちなみに、それぞれどういった学生さんが多いのでしょうか?

松隈:自分の専門はシリアスゲームですが、研究室に来るような学生は、「シリアスゲームが作りたい」という学生もいれば、CGでアート制作をしたいという学生もいます。自分自身もシリアスゲームのかたわら、「アジアデジタルアート大賞展FUKUOKA」(図3)という国際コンペティションの運営に長くかかわっていますし、2016年から実行委員会事務局長をつとめさせていただいてます。2020年度は牧先生にも審査員をつとめていただきましたよね。その節はありがとうございました。

図3:アジアデジタルアート大賞展FUKUOKA

牧:いえいえ、こちらこそありがとうございました。

松隈:話を戻すと前述のように、芸術工学部には前身の芸工大時代から、多種多様な教員がいます。建築デザイン、インダストリアルデザイン、音響、そしてメディアデザインといった具合で、さらに工学、科学、芸術の専門であるなど多様性の見本みたいな様相を呈しています。その中で「ゲーム」や「CG」がやりたい、という学生が自分の研究室に集まってくるんですね。自分自身も幅広く学生を受け入れるようにしています。

ただ、そこでいつも言っているのは、「何をやってもいいけれど、そこに新しさがないとダメだよ」ということ。「シリアスゲームはチームで作るし、指導も行いますよと。一方でCGアートを個人制作するのであれば、自分で表現したいものがなければダメだし、必要なことは自分で学ぶ姿勢も求められる」とも釘を刺しています。

牧:ゲームコースの学生も多種多様ですね。ただ、大学院に入って、ベースとなる専攻の演習を履修して、そのうえでゲームコースに来るので、ゲームという表現媒体にある程度、思いをもって来る場合が多いようです。ゲームの制作環境が整ってきて、一人でも作品が作れるようになってきたことも大きいと思います。3DCGに関して言えば、私の世代ではデジタルとアナログがはっきりと別れている傾向にありましたが、今の学生はデジタルネイティブ世代というか、柔軟に行き来していますね。油絵科の学生が進学してCGをやるといったことも普通にあります。もっとも、プログラミングとなると、少し壁があるようですが、それでもUnityなどに挑んでいますね。

--先日、学生さんの作品発表会をオンラインで拝見させていただきました。手描きアニメーションによるVRの360度動画や、作家性の高いスタイリッシュなアドベンチャーゲーム、Googleストリートビューを活用したオンラインゲームなど、さまざまでした。そのうえで牧先生が話されたように、自分が表現したいテーマや、メッセージ性などに正面から取り組んだようなものが多かったようです(図4〜図7)。

図4:VR作品「Baby in the Cradle」(ゆはらかずき、東京藝術大学ゲームコース)

図5:VR作品「Public Bath」(李沐陽、東京藝術大学ゲームコース)

図6:ゲーム「YOU」(許哲欣、東京藝術大学ゲームコース)

図7:「Can I see you now?」(林裕人、東京藝術大学ゲームコース))

その一方で、近年ではアニメーション作家の和田淳さんが制作されたゲーム『マイエキササイズ』のように、アニメーション発のゲームが国内でもリリースされる時代になりました。また、これはゲームではありませんが、現代アートの村上隆さんがNFT(Non-fungible token)技術を用いてデジタルアートをオークションに出展するといった動きもあります。ゲームコースに追い風が吹いている印象がありますね。

松隈:CEDEC2018で「Animation to Games 〜東京藝術大学仮想ゲーム学科展での取り組み〜」というセッションがありましたね。自分もインタラクティブセッションの展示を学生に任せて、聞きに行きました。そこで「藝大もゲームコースができるんだ」と素直に驚きました。自分がシリアスゲームの研究を大学で始めた時は、本学の芸術工学部では「いいんじゃないの」という感じでしたが、他の学部では「なんで大学でゲームなんだ」という雰囲気がありました。それを考えると、時代が変わったと感じます。今ではそうした批判みたいなものも少なくなりましたし、なにかあっても「藝大でもゲームコースがありますよ」と言えるようになりました。

牧:ありがとうございます。学生の中にはゲーム業界に進みたいという者もいれば、表現者の道を進みたいという者もいますね。一番の理想は自分の表現を追求して、それが社会と関係性を持って、生活できるようになること。先ほどNFTの話もありましたが、そのための環境がどんどん整ってきたのかな、と思います。

松隈:日本のゲームやアニメは世界でもかなり尖っていますよね。一方でゲームもアニメも世界的にみれば、表現に多様性があります。シリアスゲームの研究を始めたとき、GDCに何度か参加したことがあります。インディゲームが集まるIndependent Game Fesstibvalのコーナーに、学生部門のStudent Showcaseがあり、既存のゲーム表現に囚われない、さまざまなゲームが展示されていました。そこで「日本の学生でも、十分通用するのではないか。ここでいつか学生の作品を展示させたい」と思ったのを覚えています。もっとも、藝大の学生さんに先を越されてしまいましたが。

--『Downwell』を制作したもっぴん君ですね。当時、藝大の声楽科の学生でした。

松隈:一方で広島国際アニメーション映画祭がありますよね。芸術工学部でもエデュケーショナルフィルムマーケットで毎回ブース参加していて(図8)、会場で藝大の学生さんの作品を見るのも楽しみにしていました。ご存じの通り、当映画祭では商業アニメではなく、アートよりのアニメーション作品が出展されます。ところがある年、懇親会が広島市内にあるアニメショップの催事スペースで行われたことがありました。楽しく参加しましたが、最初にちょっと「違うんじゃないか」的な雰囲気になったのを覚えています。日本のゲームやアニメならではの表現と、ゲームコースが考えるゲームとの整合性などは、どのように考えられてますか?

店の前に立っている人たち

中程度の精度で自動的に生成された説明

図8 :広島国際アニメーション映画祭

牧:最近ではゲームの中にもアート的な文脈で論じられるものが出てきて、アートゲームというような言われ方をすることもありますね。ただ、アニメーションの分野でいうと、本学の周りではアートアニメーションといったくくられ方をすることに対して、抵抗感を覚える教員が少なくありません。既存のアニメーションとは別の分野に押し込められてしまう……そんなふうに感じるからかもしれませんね。そのため本学では、作品をアートアニメ的な文脈で語る必要のあるときは、インディペンデント・アニメーションやコンテンポラリー・アニメーションといった言い方をすることが多いように思います。

松隈:「アートとデザイン」に加えて議論したいテーマに、「アートとデザインと学術論文」というトピックがあります。というのも、DIGRA JAPANには人文系、工学系の会員は多いんですが、表現系の会員や発表者が少ないんですね。まあ、そんなことをいうと「自分がもっと活動しろ」という話になってしまうんですが。実際、DIGRA JAPAN以外でも、アジアデジタルアートアンドデザイン学会などで活動しているわけですし。

--最近、藝大の博士論文をお借りして読ませていただいていますが、けっして藝大の学生が論文を書かない、というわけではありませんよね。インタラクティブ性やメディアアートなどの分野で、興味深いものが多くみられます。また、コンテンポラリーアートでは、単に作品を制作するだけでなく、作品を言語化して他人に説明する力も求められます。「論文」というと敷居が上がりますが、学会でも査読付きの論文から研究報告まで、さまざまなレベルの発表があります。DiGRA JAPANにはカリスマ性の高いゲーム開発者も多いので、インタラクティブセッションで作品を発表し、コメントや感想がもらえる、などの流れがあるといいですね。

牧:博士論文になるとそうですね。ただ、修士課程では修了制作がメインで、必ずしも論文化が求められるわけではありません。そこが一般の大学や大学院とは、少し違うところです。また、学生の意識も学会発表をしたり、論文を書いたりといった活動よりも、作品を作ってコンテストに応募するといった方向に意識が向きがちで、自分とは関係ない世界だという意識があるかもしれませんね。ただ、先ほど言われたように、アーティストにとって作品を言語化する力は必要です。また、作品を発表できる環境があり、そこで有益な視点や気づきが得られるとなれば、学生にとってもプラスになります。私は情報処理学会デジタルコンテンツ研究会で運営委員をしていますが、そこでは論文発表とともに、作品発表という投稿枠があります。DiGRA JAPANでもそういった環境があれば、敷居が下がるかもしれません。

--DiGRA JAPANは東大で開催されたDiGRA2007を受けて設立されましたが、そもそもDiGRAは人文系のゲーム研究……近年ではゲームスタディーズという言われ方もしていますが……を主とした学会ですよね。これに対してDIGRA JAPANは設立当初から学際的な性格が強く、近年は特にその傾向が強まっています。人文系・工学系に加えて、表現系の研究者や学会発表が増えれば、もっと盛りあがりそうですね。思いつきで言ってしまいますが、DIGRA JAPANでは教育SIG主催で2014年から2019年まで毎年、シリアスゲームジャムが開催されてきました。そこから一歩進んで、インディゲームなり、アートゲームなりの展示会が開催され、そこに多くの業界人や研究者が集うといったことがあれば、おもしろそうです。

松隈:ゲームコースでも以前、東京藝術大学ゲーム学科(仮)「第0年次」などの展示会をされていましたよね。同じようなことがDiGRA JAPANでもできるか否か、持ち帰って検討したいと思います。また、これに絡めて産学連携についてもお伺いしたいのですが、ゲームコースではスクウェア・エニックスとコラボレーションをされていますね。先方の反応は如何ですか?

牧:ゲームは今、非常に大規模なものになっていますよね。産業界では自由な発想で一人で作る、といったことはなかなか難しい状況になっているかと思います。これに対してゲームコースの学生が作る作品……ゲーム業界ではあまり「作品」という言い方はせずに、「商品」と言われているかと思いますが……そういったものに良い刺激を受けていただいていると感じています。

一方でゲームは映像と違って、プログラミングという要素が入るため、えいや!で仕上げる、といったことができません。コンパイルエラーが出て、ビルドできなければ、動かしようがないわけです。そのためには自分がやりたい表現と、作品を俯瞰的にみて全体像を把握したり、締切までに仕上げることのバランスをとることが求められます。Vertical Sliceという考え方も、このコラボレーションをきっかけに学んだことです。ゲームという分野は産業界での歴史が長いですから、スクウェア・エニックスの方々をはじめ、制作実習で外部の方にメンターとして入っていただく中で、学生自身も意識が変わっていくようです。

このように、双方にとって良い関係が築けているのではないでしょうか。今後、より多くの企業の方とも協業が進められるように調整中です。

松隈:興味深いですね。企業と大学の関係というと、通常は大学が学生を育てて企業に供給するといった具合に、一方通行の関係になりがちです。ゲームコースの産学連携は、そうした中で一石を投じるものになりそうですね。

--それでは最後にお二方から今後、育てたい学生像のようなものをコメントいただいて、まとめとしたいのですが、如何でしょうか?

松隈:そうですね……先ほども言いましたが、世の中にないような「まったく新しいゲーム」を作れるような、そうした学生を育成していきたいですね。新しいゲームの形を提案すること自体がアートだと思っているので、シリアスゲームでなくてもかまいません。もっといえばゲームでなくても、他の作品でもいい。そこに新しい技術が加わっていればなおいいですね。芸工は工学部なので。新しい作品を作るためには、なによりも学生本人の熱意や思いが必要です。そうした思いを持った学生が作品を作って、世の中に発信していけるような環境を作ったり、支援をしていけるように、大学としても努力していきたいですね。(図9)

図9 謎解き×鬼ごっこゲーム『オルタグ!-大橋キャンパスを目指せ』

牧:大それた言い方かもしれませんが「ゲームの定義を更新するような表現者」を送り出していきたいですね。既存のゲームの概念を破壊したり、拡張したりできるような学生が育成できればと思います。そのためには、大学側もさらに多種多様な視点を学生にインプットできるよう、海外とのコラボレーションや産業界との取り組みなど、一層力を入れていきたいと思います。

ゲームの定義はさまざまですし、これからも時代と共に変化していきます。こうした中、ゲームを作る環境がどんどん身近になって、一人でもゲームが作れる時代になり、これに伴って学生の多様性が増しています。実際、ゲームコースはまだ設立して2年目ですが、母体となるアニメーション専攻やメディア映像専攻では、多種多様な作品が生まれています。今後、技術や環境の変化に伴って、何か表現したい学生が、自由に作品を作って、世の中に発信していけるような社会にしていきたいですね。